反抗期と不登校に悩んで children23.exblog.jp

娘(チャ子)と息子(ドン)、主人と私(バジル〉、反抗期に不登校を経験し、悩める母の独り言。英語の先生もしています。


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カテゴリ:主人のこと( 10 )

あ~失敗

日曜日。
子供が二人とも家にいるという珍しい一日。
私は、家の掃除に、バタバタ。
主人が4時頃帰ってきて、
一人で、スパゲティを作り始めた。

「もうすぐお夕飯するから、家族で揃って食べようよ」

と言ったが、

「俺、お腹すいているから」

と言って、自分で作り食べた。

なんか、無性に腹が立って、

「せっかく家族が揃っているのに、なんで一緒に夕飯を食べないの?
もう少し待ってくれたら、夕飯を作るのに!」

って、怒った口調で、言ってしまいました。

主人は、私を無視。

「ねぇ、家族でいる必要がないんじゃないの?
どうして、あなたはここに居るの?
自分で勝手に作って食べるんなら、この家に帰ってくる必要ないんじゃないの?」

それでも私を無視。
そして、食べ終わったら無言でさっさと2Fの自分の部屋へ。



私のムカムカは、しばらく続き、、、、




そして、私の怒りがおさまったころ
「あ~しっぱい!!」
って思った。

よく考えたら、きっと主人はただお腹がすいていて、
早くお夕飯を食べたかっただけなんだ。

やさしく「じゃあ、早めの夕飯にするから、今作るね。」
と言って、一緒に夕飯を食べればよかった、、それだけのことだったんだ。




主人に対してはいつも先に、ムカムカが来てしまって、優しさがなくなる。
もう、だめかな・・・と思う。
子供にできることが、主人にはできない。
どうして優しくできないんだろう。
私が変わればいいことなのに。



だから、夕飯は、子供と3人で食べた。
変な家族。
2Fにお父さんがいながら、別々に食べるなんて。


ほんと、変だよね。
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by myfirstblog2011 | 2013-04-07 22:55 | 主人のこと | Comments(5)

どうしたものか・・・

去年の8月、主人が暴れてから、
私は、すっかり主人を避けてしまうようになりました。

「離婚」のふた文字が、行ったり来たりしています。
どうしたらいいのか分からず、
まるで家庭内別居のように、
会話も全くなく、すれ違っています。

結婚して20年
辛いことがいっぱいあっても、許してこれたのに…
もう、許せなくなってしまった私の気持ち。

話すのもいやだし、
目の前にいるだけで、
息苦しくなって、
その場から逃げてしまいます。

仕事場へ行く途中、
今日こそは、主人に優しくしよう、話しかけてみよう、
って、心に決めて歩きますが、
帰り道には、もう憂鬱な自分がいて、
どうしたら円満に別れられるか…そればっかり考えてしまいます。

仕事をフルタイムに変えれば、
経済的には、困りそうにもない。

でも、築き上げてきたこの家を出るのも、
子供たちにいろいろ迷惑をかけるのも・・・
大体、今まで何度となく、離婚を切り出したけれど、
まったく無視され、
話にさえ応じない。

去年の8月、主人が暴れたときには、
「別れたって追いかけていって殺す、、、、」って言われた。
それが、今でも恐怖に感じる。

考えれば、考えるほど、
どうすればいいのかわからない。

私が、主人に優しくすればいいだけのこと。
もう一人子供がいると思って、
ぜ~んぶ面倒を見てあげればいいのか。

でも、
もう、
からだが
拒否していて、
だめだ。

きらいなんだよね。
きもちが、
うけいれられない。

けいべつしていて、
尊敬できずに、
いつも、心のどこかで、
「いやだ」って。
おもっていて、

あ~
だれか、、、、たすけて。

私は、まいにち、まいにち、
どうすればいいのか分からず、
嫌いな主人をまるでいないかのようにして、
過ごしています。
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by myfirstblog2011 | 2012-06-28 22:05 | 主人のこと | Comments(10)

いやだ~

も~別れたい!!と思いながら、ずるずると一緒にいます。

先月、馬鹿亭主が酔っ払って、くだを巻いて、
娘にからみ、
「お前なんか、大っきらいだし」
と、いわれ、、、
私も、あきれ顔で
「早く、2Fに上がって、寝てくれば?」
といったのが、気に入らず、
さらに、私にも絡み、とうとう私も、頭に来て
「それだったら、もう、離婚してよ」
と、、、

そうしたら、扉をバン!としめて、風呂へ
その後、ふろ場で、どたんばたんと暴れている音。

何事だよ、、、、と見に行くと、
風呂場の扉のガラスは、割れてなくなり、
シャンプーやリンスは、壁に投げつけ、ボロボロに、
観葉樹の入ったミニ植木鉢も、風呂桶の上にぷかぷか浮いてるしまつ。

「あんた、何やってんの、こんなことして…」

「絶対、離婚なんてしてやらねぇ、、そんなことしたって、追いかけていって、
殺してやる」

と言われました。
いくら酔っ払っているからと言って、
「殺してやる」
はないよね。

ホントに、幼稚で情けないバカ亭主
いつか、黙って出て行ってやりたい、、と思っているけれど、
ホントに、追いかけて来て殺されそうで、こわい。。

次の日、すっかり酔いがさめた、亭主は、黙々と風呂場の掃除をし、
私に謝り、平身低頭。
壊れた、扉のガラスも、アクリル板を買ってきて、自分で、修理をし、
新しいシャンプーもリンスも、揃え、
何事もなかったように、振舞いました。

しかし、私の怒りは消えず、、、
その日から、私は口をきいていません
ちょっと、しばらく顔も見たくない気持ちです。

やっぱり、おかしな家族です。
子供たちは、きっと楽しくないでしょう。
娘は離婚してと言います。
息子は、絶対離婚してほしくないようです。
気持ちが揺れます。
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by myfirstblog2011 | 2011-11-04 21:33 | 主人のこと | Comments(8)

娘 vs  主人・・・

まあ、最近は、娘の「くそ、死ね、てめぇ」という言葉は
私にはまったく使われなくなったのですが、
相変わらず、主人に対してはあるんだよね…

今日、些細なことで、主人に対して「だまれ、てめえはしゃべんな」って言った娘。
私が、「そういう言葉は、パパに対して失礼よ」
というと、

「はっ?こんな奴、父親じゃないし…」
「あの、地震があった日だって、
 8キロも歩いて帰ったって、2階から降りて来て、
 お帰り、大丈夫だったのか、の一言もないんだよ」

「そうだったの~〈はぁ~困った父親〉」

すると主人
「大体、お前だって、こっちがいつ話しかけたって、
 無視するくせに、どうせ、降りて行って何か言ったって、
 はっ?死ね、って言うだけじゃないか!」

はいはい・・・どっちもどっち。
子供の喧嘩のよう。

娘は、やっぱりさみしかったのよね。
8キロも不安な思いをして歩いて帰ってきたのに、
家に着いてみたら、それぞれが各自分の部屋から出てこなくて(息子と主人)
なんか、家の温かさを感じ取れなかったんだよね。
(私がいてやればよかったんだけどね。私も帰宅難民になってしまっていたし)

ま、主人の言い分もわかるけど、
やっぱりねぇ~、
私もそう思うわ。「あんた、それでも父親?013.gif
ってね。

いくら無視されたって、罵声を浴びせられたって、
あれだけ怖い地震の後、電車が泊まって、停電している街中を
歩いて帰ってきた娘に「大丈夫だったのか」って、
声の一つもかけない父親ってどうなの?

それとも、日ごろの行いが悪い娘のせいか…

う~ん。やっぱり問題ありの家庭からまだまだ回復してないな。
私のうわべの取り繕ったような家庭ごっこでは
やっぱり駄目なのかな~

ホント、離婚したい思いがまた、ぐぐっと持ち上がってきたよ。
まいったな。深呼吸、深呼吸・・・
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by myfirstblog2011 | 2011-03-19 21:49 | 主人のこと | Comments(4)

主人のこと 再び

このところお酒の量が増えていて、なんか気になっていた。

そして、昨日のこと。
夜8時ごろ、おばあちゃんからの電話。

「また、暴れてるの…ちょっと来て」

で、事務所へあわてて駆けつけると、
窓ガラスが一枚割れて、おじいちゃんと主人の両方に顔に打撲跡…
また、やっちまったよ。

その後、警察も来て、酔っ払った主人は、両親相手にわめき散らし
あ~あ、まだ解決されていなかったんだよね。

「パパ、どうしたいの。何を言いたいの?
どうして怒こっているのか言ってごらん」

というと、大の大人が、涙を流しながら自分の両親や弟への思いを話し出した。

「いつも、いつも頑張ろうとする俺の邪魔ばかりする。
 弟ばかり、肩を持って、いつも小さいときからそうだ。
 ・・・俺が何かをしようとすると、お前はダメだって、
 それで、弟がうまくやると、あいつはいつだって要領がよくって、、、(涙)」

その間もお母さんはトンチンカンな返事を繰り返す。

「お母さんだって、お前に気を使ってきたんだよ」

とか

「お前だって、好き勝手やってるじゃない」

とか、、、

そうじゃないのに。
そうじゃなくって、主人は受け入れてもらいたいのに。
やろうとすること、やっていること、全て受け入れてもらいたいのに。
話し合いは、結局、いつものかみ合わない会話で両親が逃げるように家に帰り、
また、主人のポッカリ空いた心の隙間は埋められることもなく、終わってしまった。

私も子供のことが気になるので、一回家に帰り、風呂に入り、
もう一度連絡が来て、事務所へ。

まだ、酔っ払っている主人に、

「色々言い分があるのは分かるけど、45のおっさんが、70のじいさん相手に暴れるのは、どうな の?警察まで来てさ…あなたには、大切な家族があるでしょう。事件になるようなことになった  ら、もう一緒にはいられないよ。子供のことを思ったら、こんな風に暴れて物を壊したりするのは やめてよ」

「知らないね。おれはもう、みんなを殺したいほど憎んでいるんだよ。殺したいよ。
 どうして暴れてしまうのか、自分でもわからないよ」

「あなたは、私たち家族より自分の思いを満たすことのほうが大事なの?
 あなたは、お母さんとお父さんによしよしいい子ねって、愛情を求めて泣き叫んでいる赤ちゃん  よ。抱きしめてもらいたいんでしょ!」

「うん…そうかもしれない…(涙)」

彼の気持ちは痛いほどわかる。
だけど、もう、子供の父親として、主人としては尊敬も何もできない。

私は、いつまでこんな彼と寄り添うべきなのか。
いつまで、こんなことを繰り返す人のそばで、自分の気持ちを抑えながら、
頑張らないといけないのか。

「離婚」と「情」が表裏一体の状態で、ぐるぐる回っています。
本当は、もう離婚したい。

結局、私は離婚できないことを知っている。
彼が哀れで、みじめで、、、、だから、捨てられないのだ。
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by myfirstblog2011 | 2010-11-05 23:16 | 主人のこと | Comments(0)

主人のこと5

主人のこと1~4までを読まれた方は
きっとドラマのような内容で、びっくりされたかもしれません。

長年にわたって繰り広げられてきた、親との確執は
最終的には、彼が親のうちの仏壇を壊し(バチあたりですね…)

家の中をまるで泥棒が入った跡のように、ぐちゃぐちゃにしたことで、
義父母が2週間ほど、姿を消してしまい(家出?)
はっ…と我に返った主人が反省するという形で
終息を迎えました。(実際には何も解決されていないのですが)

結局、当たり散らす両親がいなくなって困ったのは、当の本人でした。
いない間の2週間、彼はあちこちに電話をかけ続け
探し続けました。(この事件以降、彼は暴れなくなりました)
それはそれは必死でした。

あ~この人は、本当に親の愛情を求めているんだな、
いないと、こんなにパニックになるんだ、
と、私は冷静にそう思っていました。

しかし、本当の根っこが解決されたわけではないので、
やはり、親の愛情を求めていまだに困ったことがあると、
親に電話をかけています。ときどき、怒鳴っています。
義父母は愛情が足りなかったことなど気付いていません。
親が死んだら、どうするんでしょうか…

でも、彼は自分で自分をコントロールするすべを少しずつ
習得し、最近は呼吸法や瞑想を繰り返し自室で行っています。

子供の問題が持ち上がった時、父親とのかかわりが薄かったことを指摘し、
一日一回でもいいから、息子に話しかけて、受容してもらいたい…
と言ったところ、

「俺自身にも問題を抱えているのに、子供のことまでは無理だ」

とはっきり言われてしまいました。
まぁ、そうでしょう。
予想通りの回答でしたが、やはり、がっかりしました。
ただ、彼は一つだけいいことを言ってくれましたよ。

「このままたとえ息子がひきこもりになったとしても、
食費ぐらいなんとかなるだろう。別にそのくらいの面倒
見てやってもいいじゃないか。今は放っておけ。
人間は、放っておかれたら、何かしなければならないと思って、
動き出すもんだ。」

と。彼の口から出た、意外な言葉に一瞬救われた私でした。
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by myfirstblog2011 | 2010-09-27 23:21 | 主人のこと

主人のこと4

主人のうつ状態は、3年ぐらい続いたと思います。
心療内科にも行ってもらいましたが、
本人が、「頭がおかいいのはあいつら(両親)の方で、
おれは、普通だ。」と思っていましたから、
診察室では、至って普通に受け答えをし、
鬱の診断は下されませんでした。

「俺はやっぱりまともなんだ。おかしいのはあっちだ」

と、また愚痴愚痴と両親に文句を言っていました。
幸いなことに、自営業でしたから、仕事に行かない日が続いても、
お給料だけはしっかりいただいており、生活に困ることはありませんでした。

こんな状態では、どうしようもないし、家庭もうまくいくわけがないと思い、
親の会社から出て、他の仕事について全て一からやり直そう、
という提案を何度もしましたが、
結局彼は親の元から出て別の仕事を探す勇気もなければ、
自信もありませんでした。

自分のことで精いっぱいで、家族を振り返る余裕もなければ、
子供をかわいがる、子供と遊ぶなんてもってのほかでした。
部屋に入って自分探し、自分をいやすことに費やしていたと思います。
フロイトやユング、河合隼雄さんの本を読み漁っていました。

最終的に'気'の世界に入り込み、うまく自分をコントロールするすべを
みつけだしたようで、だんだんと落ち着きました。

私も、彼に多くを求めませんでした。
お給料を運んでくる人ぐらいに割り切っていました。
気がついたら、主人はいつも、家族の輪から外れて
私と子供二人が一緒に行動をしていたと思います。

私は、彼を軽蔑し、いつも離婚したいと思いながら、生活していました。
子供たちには言いこそしませんでしたが、きっと感じ取っていたと思います。
これぞ、機能不全家族ですね。
子供たちには、本当に申し訳ない家庭環境でした。
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by myfirstblog2011 | 2010-09-25 23:18 | 主人のこと

主人のこと3

小さな零細企業ですが、義理のお父さんが社長です。
反抗期に入る前、主人は自分で新しい部署を作り
新しい事業を始めようとしていました。

ところが、義父の口出しで上手くいかず、
社内で、義父母と対立するようになりました。、
古参の従業員たちが皆、社長の味方をし、
主人の部署の若い社員たちは、主人から離れて行ってしまいました。
もちろんなんですけど。(社員は社長に育てられていましたから)
で、彼は会社で四面楚歌の状態になりました。

家に帰ってくると、怖い顔をして自分の部屋へ行き
実家に電話をかけ続けました。
どなり声は、もちろん恐ろしいようなもので、
私と子供たちは、聞こえないふりをして、
テレビを見たり、トランプをしたりしていました。

気に入らないと、実家へ出かけて行き、暴れました。
義母は私に電話をしてきて、「なんとかして」と再三お願いをしてきましたが、
私が間に入ってもどうにもならないことを伝えるのが、精一杯でした。

しばらくすると、私は彼が殺人事件を起こすのではないかと、
思いました。彼は、ネットで銃を買おうとしていたのです。

2年くらい激しい反抗期の後、
死んだような顔になってしまいました。
多分うつ病だったのではと思います。
体重も15キロ減り、目はうつろで、ぼっとしていました。
そのころ、彼のカバンの中には、
普段つけないネクタイ2本が結ばれた状態で入っていました。
遺書も見つけました。

多分、自殺をしようと思っていたのでしょう。
私も、限界で、何度か離婚を切り出していました。
でも、彼は離婚届に判は押してくれませんでした。
私も、強行突破をする勇気はありませんでした。

本当は、彼をこの時捨てて出ていけばよかったのです。
別れて、私は私の人生を子供と共に歩む道を選ぶべきだったのかもしれません。
でも、本当にその道を選ぶと、彼は二度と立ち直ることができないような気がして、
私は彼を捨てることはできませんでした。

遺書には、両親への非難はありましたが、
私や子供への言葉は一つもありませんでした。悲しかったです。
彼は、自分のことで精いっぱいでした。

一時期とはいえ、幼少期の大事な時に温かい家庭で過ごさせてやれませんでした。
こんな悲惨な家庭で育った子どもたちです。
可愛そうなことをしました。
子供に罪はないのに、

娘は、一度泣きながら、私の書いた離婚届を破きました。
まだ、幼稚園生だったと思います。

私は、大人になってからこんな反抗期を迎えることのないように、
息子を特に溺愛しました。
過剰に愛情をかけていたと思います。

ある本に書いてありました。
「子供の自立、自主性を妨げるような愛情のかけ方も、
 一種の虐待である」と・・・
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by myfirstblog2011 | 2010-09-24 22:14 | 主人のこと | Comments(0)

主人のこと2

主人は、高校に入って間もなく、登校拒否になりました。
学校へ行っても楽しくなく、何のために行くのか
分からなくなったそうです。

身体を動かすことが好きで、体育科のある学校へ進学を希望していたけれど、
親の「みっともない」という理由で、
違う普通科の私立へ行かされたそうです。
反抗する勇気もなく、行かされた学校は限りなくつまらない…
それで、ある日突然布団の中から出なくなってしまったのです。

周りの大人たちが、右往左往する中で、
「誰が行くもんか…」と思ったいたのですって。
そうして、何ヶ月かが過ぎ、
やっぱり、みっともない、という理由で、
他府県の不登校や登校拒否の生徒が寄宿する牧場へ行かされました。
約3年間、両親は一度も会いに来なかったと言います。

「俺は、30年前の流行の最先端を行ってたんだよな」
なんて、この間思い出したように話してくれました。
「俺はただ、勉強よりもほかにしたいことがあったし、
身体を動かすことが好きだったから、家業の手伝いをしたかったんだ。
でも、いつも、みっともない、って言って阻止された」

子供ができて、私と子供の関わり合いを見て、
自分はそんな風にはされなかった…という思いがあったのか、どうか
(一度ぼそっとつぶやいていました)
32~3歳になってから、親との衝突が始まりました。


それはそれは、私には理解ができないほどの暴れっぷりで、
(たぶん今なら、なんとなく分る)
私は、当時2歳、4歳の子供を一人で世話しながら、
義理の両親からも責められ、愚痴られ、
主人の荒れた心も慰めなくてはいけなくって
もう、八方ふさがりになっていました。

殴りあいの喧嘩で、警察が出動することもありました。
主人が、包丁を持って出ていくこともありました。
義理の両親の家は、窓ガラスが何枚も割られ、
電化製品のほとんどが、壊されました。

私には、本当に手を一つ上げたこともなければ、
大声で怒鳴ったこともありません。
でも、彼は昔を取り戻すように、約2年間ぐらい
暴れ続けました。

この時、私は本当に離婚をしようと何度も思いました。
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by myfirstblog2011 | 2010-09-22 23:12 | 主人のこと

主人のこと1

主人の実家は自営業です
高度成長期に家業は忙しくなり、
主人は、いつも一人ぼっちだったそうです。

小さいころからほめられたことが少なく、
勉強には、全く興味を持てず、
空手や筋トレが大好きで、
一人の時間を、そういうことで、過ごしたらしい。

そういうことが影響したかどうか、わからないけれど、
子供が生まれても、彼は子供と関わることがうまくできず、
何度話し合いをしても、自己中心的な考えは変わりませんでした。

一人で自分の部屋で、音楽を聴いたり、本を読んだりすることを好み、
子供と遊んだり、子供と関わったり、
リビングで同じ時間を過ごすことを好みませんでした。

主人は、ひどい人間だと決めつけ、
その不平不満を子供たちに幾度となく愚痴ったことがあります。

ひどい人間は、私のほうですよね。
理想のパパを求めすぎて、
彼の態度を、ただひどいと考え、
完全に彼を拒否してしまっていました。

それでも、離婚は子供によくない…と、思いこみ、
「こうなったら、一人で立派に育てるぞ」
と、母親と父親役をこなすことに必死になりました。

その後、彼は30代で恐ろしい反抗期を迎えることになります…
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by myfirstblog2011 | 2010-09-21 22:10 | 主人のこと | Comments(0)